今度の旅はレアバスで・第10回



官製ニュータウンの灼熱

京王電鉄 桜43 日大三高→聖蹟桜ヶ丘駅





桜43・三高前にて
 2002年7月20日(土)。まだ8時半だと言うのに実に暑い。小田急線高架下の町田バスセンター(東京都町田市)はいつ来ても排気ガスがもうもうとしているが、今日ばかりは日陰がありがたい。

 8時30分発の神奈中バス町27系統小山田行は、子供連れと女学生で休日なのに混んでいた。約20分後、日大三高入口で僕を含めほぼ全員が下車し、一列になって緩くカーブした坂道を登っていく。

 町田市北部の日本大学第三高校(中学を併設)は、今を遡る事ン年前、高校受験の志望校になりかけた事がある。が、諸般の事情(というよりも、頭が悪かっただけなのだが)で三高を受験することはかなわなかった。三高がいかなる高校なのか実見することもないまま、僕は別の県立校へ進んだ。

 その三高への坂道を僕は今登っている。レアバスに乗るためである。奇特な事だと思う。

 5分も登ると丘の上へと出る。道路から引っ込む形でロータリーがあり、駐車場があり、その向こう木立の中に学園の入口がある。やはり私立となると、入口の構えからして格が違うな、 と思う。そのまま構内に入り探訪したいところであるが、そこここにガードマンが立っているので、昇降口まで行っただけで引き返す。

 ロータリーで佇んでいると、親子連れが続々と登ってくる。車で直接乗り付けてくる人もいる。入試説明会にしては格好が大雑把だから、夏休み子供科学教室的な催物でもあるのだろう。

 9時15分、僕が歩いてきた方向とは逆の、東側から京王電鉄のバスが回送で登ってくる。これが折り返し9時21分発の桜43系統で、小田急多摩線の唐木田駅・多摩センター駅を経て京王線の聖蹟桜ヶ丘駅(いずれも多摩市)まで行く。1日1本(毎日・ただし時刻は曜日によりやや異なる)しか運行されないレアバスである。

 日大三高から多摩センター駅へは、多43という同経路のバスが1時間に1〜5本走っている。多摩センターと聖蹟桜ヶ丘の間にも、同ルートではないものの頻繁にバスが走っている。どちらも桜43と同じく京王のバスである(一部神奈中と共同運行)。いわばわが桜43は、多摩センターを境に2本のバスを繋いだような格好になっている。これは京王線(本線)の沿線から日大三高への通学生の足を確保するために設定した、と考えるのが普通であろう。

 ところがこの系統、午前中に日大三高を出て夕方戻ってくる1往復のダイヤを組んでいる。通学の流れと完全に逆である。しからば誰のためのバスなのか。今回の焦点は、果たしてこのバス、多摩センターをまたいで利用する客がいるのか否か、に集約されてくる。

 9時21分、定刻に桜43は日大三高を後にした。乗客は僕のほかに男性が2人。1人はこんな時間から帰るのか三高の学生であった。もう1人はうろうろと落ち着きがなく、地図を熱心に眺めたりしている。ひょっとして同類かもしれない。

 バスは三高前の坂道を東へ下っていく。右手に野球場が現れる。ナイター設備まで備わった立派な球場で、ちょっと風が吹けば砂まみれになるわが母校のグランドとは雲泥の差がある。こういう高校を相手にしなくてはならないのだから、都立や神奈川県立の高校が甲子園にいける訳がないのだ。

 坂を下りきったところで、田舎じみた街道に入る。町田から乗ってきた小山田行バスが走っている道路とは、ちょうど三高を挟んで反対側の道に相当するのだが、こちら側にも神奈中バスが走っている。町田市内の路線バスは、都内にもかかわらず「神奈川」中央交通が独占的なシェアを誇っている。このバスは、いわばその神奈中の牙城の中に打ち込まれた1本のくさびである。車内は閑散としているが京王グループにとっては重要な路線である、かもしれない。

 町田もどん詰まりに差し掛かってきて、廃車を積み上げた処分場など周囲の風景が荒れてきた。そんな場所に病院があり、神奈中バスはここで折り返す。にわかに道は登り坂となり、ゴルフ場の真ん中へと突っこんだ。バスはカーブを繰り返しながらゆっくりと標高を稼ぐ。

 クラブハウスの前を通り過ぎると、道はゆるやかに下りへ転じた。すると、木立の中から場違いに大きな建物が現れた。どうやら公共の施設らしく、プールのすべり台らしきチューブが建物から突き出している。こんな山中になんじゃいな、と思うとバスはその角を右折し、風景は一変した。片道2車線の道路が真っ直ぐに伸び、住宅がぽつぽつと建っている。峠を越えて多摩ニュータウンに入ったようだ。

 ほどなく小田急線唐木田駅付近へと差し掛かる。が、バスは駅前に入らずに、2車線道路に設けられた唐木田駅東バス停を通過した。乗降はない。と言うよりも、街角に人気が全くない。割と新しいマンションが建てこんできたのに、歩道には誰もいないのだ。アスファルトが強く照り返しているのみである。皆暑さにうだってしまったのだろうか。バスの乗客も1人は携帯電話の操作に忙しく、もう1人は熟睡しているから、気味が悪いほどに静かである。

 小田急多摩線、そして京王相模原線の高架を相次いでくぐり、多摩ニュータウン通に入る。地区内を東西に縦貫する主要道路だが、相変わらず人影と言うものがない。頭上を高々と、多摩モノレールが渡っていく。開業後数年しか経っていないのだが、近未来っぽさが全く感じられない。街の光景全てが、灼熱の太陽に照らされて白々としている。

 9時35分、多摩センター駅着。日大三高を出て以来、途中の停留所では乗降が全くなかった。そして三高から乗ってきた2人がここで降りる。運転手は1人残った僕の方を「コイツ降りないのか」と胡散臭そうに振り返り、それから存外丁寧に、「ここの発車40分だから、ちょっと待ってくださいね」と言った。予想通り乗客の流れも、そしてダイヤさえも多摩センターで完全に分断されているようだ。

 時間調整の間、運転手は外へ出てタバコを吸い、携帯電話を操作した。発車時刻が近づくと4人の乗客があったが、うち2人は別のバスと間違えたらしく、降りてしまった。9時40分、定刻通りに多摩センター駅を出発する。乗客はセンター到着前とプラマイゼロの計3人(僕を含む)。

 多摩ニュータウン通まで戻り、なおも東進する。2km先の永山までは、小田急・京王両線とこの道路が並行している。いわばニュータウン内の交通の中枢部にあたり、交通量は多い。しかし、いかんせん人がいない。多摩ニュータウン中心部、特にこの先の永山周辺では建物の老朽化と住民の高齢化が同時進行し、スラム化さえ囁かれていると言う。確かに、街に活気というものが全く感じられない。これが30年前に国の御旗の元大々的に造成された、官製ニュータウンの末路なのだろうか。

 とある団地前のバス停で主婦が2人乗り、バスは鎌倉街道との交差点のすぐ手前を左折した。次の角を右折すると、多摩ニュータウンに入った時と同様、風景は突然に一変した。道幅は狭まり、緩やかなカーブを描いていた。狭い土地に無理やり建てたマンションの前で、子供達が遊んでいる。 人が動くのを見たのは、このバスに乗って以来初めてのような気がする。

 行くほどに道は鄙び、倉のある旧家まで現れた。エンジンを唸らせ坂を登り、そして下っていく。東京に飲み込まれる前の「多摩」を偲ばせる道である。停留所ごとにバスは止まり、1人2人と乗客を迎え入れていく。

 にわかに風景が開けた。橋を渡ると、そこは聖蹟桜ヶ丘の市街地であった。聖蹟桜ヶ丘は多摩センターと同じく多摩市内の繁華街である。しかしセンターが官製の街であるのに対し、桜ヶ丘は京王電鉄が社運をかけて自ら作り上げた、いわば民製の街である。ニュータウンから離れるにつれ人が多くなる、という傾向はここにきて決定的に顕在化し、センターとは比較にならない活況を呈している(無論、時間帯の違いはあるけれど)。だから役所はダメなんだ、民間活力バンザイ、と 朝日新聞的思考が脳裏をかすめる。

 9時57分、聖蹟桜ヶ丘駅に到着。乗客は結局2ケタの10人にまで増えた。乱立する商業ビル、どこに続くのか良く分からない路地。カンペキな都市計画をした多摩ニュータウンではありえない光景。乱雑ではあるが、そこにこそ人が集う。そんな当たり前の事を再認識させられたバス紀行であった。

 ところで、聖蹟桜ヶ丘までやってきたからには、是非やりたい事がある。しかし、それはまた別のお話


(つづく)


※京王電鉄(株)のバス部門は、2002年8月1日付で、京王電鉄バス(株)の運行となりました。
 本文では7月に乗車したため、「京王電鉄」と表記しています。



2002.8.4
on line 2002.9.15
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