W杯への道


このサッカーフィーバー、priceless



 W杯オフィシャルスポンサーのCMにも色々あるが、某カード会社CMのこのフレーズが僕はたまらなく好きである。そう、あれは確かにサッカー"フィーバー"だったのだ。決勝戦からはや2週間、祭りの後の虚脱感漂う日々の中で、あの1ヶ月の出来事が今、何もかも懐かしく思い出されてくる。熱病に冒されたような、しかし心地良かったあの1ヶ月が。

 それほどサッカーに興味があったわけではなかった。日本代表の試合は殆どTVで見てきたが、Jリーグにはさほどの興味を示してこなかった。無論試合場に足を運んだ事はない。地元のベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)が存続の危機に瀕し、駅前でサポーターが必死にチケットを売っていた時でさえ、その前を素通りした。W杯のチケットが発売になった時も、購入方法を調べようともしなかった。どうせ高倍率で買えやしないさ、という思いもあった。事実その通りで、日本開催分のチケットは瞬く間に売り切れた、はずであった。

 ところが、である。知っての通りの空席騒動である。当初、当日売りの中止を要請していたJAWOCは一転、電話とインターネットで空席の販売を行う事を発表した。まったくもってFIFAとバイロムとJAWOCの阿呆っぷりには呆れるほかなかった。

 しかし、裏を返せばこれは、今からでもW杯チケットが入手できる事を意味していた。6月4日に日本×ベルギー戦(埼玉)をサポーター100人ほどと一緒にTV観戦して、その盛り上がりに舞い上がり始めていた僕は、7日には日本×ロシア戦(9日・横浜)の予約電話にかじりつき、それ以降ヒマさえあればFIFAのサイトを訪れることになる。はまりだすと止まらない性質なのである。

 しかし、そう簡単にチケットが手に入るはずはなかった。電話は「只今回線が混み合っており…」と繰り返すばかり、サイトも何度更新しても「サーバがオーバーロードしています」と表示されるだけであった(ちなみに背景はこの緑色であった)。

 だが、FIFAがサーバ容量を増設したという胡散臭いニュースが流れた頃から、稀に、本当に稀にだがサイトに繋がるようになってきた。もっとも、トップページがめでたく表示されてもその先が異常に重く、イライラしているうちに接続制限時間(これがまたフザケタ仕組みである)の15分が過ぎてしまう事もあった。もとより、予約可能な試合もごく限られていた。むしろ、予約可能の緑ランプが1試合もついていない事の方が多かった。

 8日(土)未明、初めて予約画面に繋げた時には、日本開催分の試合で空いていたのは13日のメキシコ×イタリア戦だけであった。会場は大分、いくらなんでも遠すぎる。交通費や宿泊費を含めれば、サッカー1試合見に行くのに約7万円かかる。

 夜が明けて何度かリロードするうちに、翌9日のメキシコ×エクアドル戦(宮城)に緑ランプが点灯した。しかし、この試合を見に行ってしまうと、同日夜の日本×ロシア戦の中継が見られない。新幹線で帰京する時間に当たってしまう。仙台に泊まってホテルか街頭のTVで見る手もあるが、翌月曜は有休を取っていなかった。時刻表を開き、 翌日始発の新幹線なら会社に間に合う事を確認して再接続すれば、もう予約不可を示す橙ランプに変じている。

 どうも緑ランプの点灯するタイミングは気まぐれであるらしい。今度は10日のチュニジア×ベルギー戦に空きが出る。しかし会場はまたも僻地大分。迷った末に、えい、行ってしまえと決心した頃には再び橙に。

 翌週には14日のベルギー×ロシア戦(静岡)が緑点灯。しかし日本×チュニジア戦と同時刻開催では見に行くわけにはいかない。決勝トーナメントのH組1位×C組2位(→日本×トルコ・宮城)が緑点灯で狂喜したのに、判断を誤って回線を切ってしまうという大チョンボもあった。

 予約最終画面まで行ったのにフリーズしてしまい、一縷の望みをかけてチケットセンターを訪れた事も2度あった。しかしもちろん徒労に終わった。そうこうしているうちに友人の速星さんが労せずして13日のエクアドル×クロアチア戦(横浜)のチケットを手にしたりして、イライラは無駄に募っていった。

 しかし、奇跡は起こった。13日(木)、何がどう幸いしたのか予約サイトの画面はすいすいと進んでいき、「予約完了」の文字を僕は半ば呆然と眺めていた。嘘じゃないかと思った。こんなにあっさり取れるはずがなかった。信じられないまま3度目のチケットセンター詣でをすれば、機械からいとも簡単にチケットが2枚滑り出てきた。

 2002年6月15日(土)、デンマーク×イングランド戦(新潟)。日本での決勝トーナメント第1試合である。
チケット
 仕事が手につかないまま金曜日が過ぎて、土曜の朝、ひさめ氏と本厚木駅で落ち合う。当初は上越新幹線で行くつもりであったが、ひさめ氏を誘ったところ、九州旅行の予定を変更して車で行ってくれるという過分な事になった。国道129号で八王子へ、さらに圏央道の日の出ICへとひさめ氏の愛車レレレレ号は走る。それにしても日の出ICは不便な場所にある。せっかく延長開通したから使ってみたのに、今まで通り青梅ICに出た方が早かったかもしれない。

 例によってがらがらの圏央道から関越道に入り高坂SAで小休止(ちなみに休止したのはひさめ氏であって、ペーパードライバーの僕は厚木からずっと休息中である)。何故か若者が多い。イングランドのユニフォームを着た人もいる。みんな新潟まで行くのだろうか、と心配する。が、沼田・水上を過ぎれば交通量は激減した。

 関越トンネルを越え、レレレレ(不毛な呼び方だが、持ち主がそう呼ぶ以上仕方がない)は越後平野の水田の中を真っ直ぐに快走する。ヒマつぶしに、追い抜く車(ひさめ氏は飛ばし屋さんである)がW杯観戦に行く車なのかどうか当てっこをする。結構それっぽい、つまり他県ナンバーで若者グループの車が多い。

 磐越道が合流し、日本海なんとか道に入り、目指す新潟亀田ICが近づいてくる。と、左前方の田んぼの中に、突如として大スタジアムが現れた。今宵の試合会場、新潟スタジアムビックスワンに違いない。すでに灯りが点いている。駐車場には、どこから集めたのかと驚くばかりの数のバスが出番を待っている。

 午後5時過ぎ(だったかな?)、新潟市街に到着し、駐車場に車を止める。新潟駅構内のマクドナルドで夕食。実はこのマック、昨年9月にもひさめ氏と入っている。あの時は、ウラジオストック行の飛行機に乗る前の腹ごしらえであった。まさか同じ店に、しかも同じ顔ぶれで1年と間を開けず立ち寄る事になるとは思いもしなかった。世の中不思議な回り方をするものである。

 土産物屋でひさめ氏が、微妙にパチモンくさい青Tシャツを買う。この男、意外にミーハーである。ちなみに僕はTシャツなど買わないが、一応今日の試合はイングランドを応援しようと思っている。 顔が分かる選手が、イングランドのベッカムしかいないのである。名前が分かるのだってオーウェンとトマソン(デンマーク)だけ。あまり他人のミーハーぶりを笑える立場にはない。

 スタジアム行のバスは新潟駅の裏口から出ていて、チケットのチェックがあった後に長蛇の列が伸びている。とは言っても、有明の某イベントに比べれば、30分程度の待ち時間は何でもない。しかし、乗り込んだバスが座席がさらりと埋まっただけで動き出したのには驚いた。誘導が上手くないのかもしれない。

スタジアム全景  駅からスタジアムまでは4車線道路の1本道であるが、今日は真ん中の2車線をバス専用にしてある。50m位の間隔でバスが雁行するさまはなかなか壮観である。駅から歩く人も多く(徒歩60分)、コンビニが歩道に接して出店を出している。バスの中では記念写真の撮り合いが始まった。

 駅から約15分、バスはスタジアム駐車場に到着した。プレイベント会場を横目に、セキュリティチェックを受けて中へ入る。階段を上ると鮮やかなグリーンの芝生が目に飛び込んできた。ついに来た、ここまでやって来た。長かった。文章も長いが、本当にここまでの道のりは長い事この上なかったのである。

 我がシートは2階席の前から5列目。3クラスに分かれたチケットのうち、最も安い($100)ものだからピッチまでは遠いが、ゴールの斜め裏であり、決して悪い席ではない。大型スクリーンのほぼ真下である。

 思いの他早くにバスに乗れたため、キックオフの20時30分までまだ2時間もある。ピッチ上では、地元の小学生が試合を始めた。何だか一方的な展開だなと眺めるうちにようやく席が埋まってきた。ほぼ満席であるが、中央の一番眺めのよさそうな一角に空席がちらほら見られるのはどうしたことか。

 それにしても、右を見ても左を見てもイングランドサポーターばかりである。僕達の席がイングランドサポーターの真ん中に位置しているわけではなく、スタジアム中がイングランド一色なのである。背番号7の白ユニフォームを着た日本人が実に多い。言うまでもなくベッカムのユニフォームだ。

 時折イングランドコールが巻き起こる。ウェーブがスタンドをぐるりと回り、向こう側のゴール斜め後ろでぴたりと止まる。場内一斉にブーイング。どうやらデンマークサポーターはその一角に固まっているらしい。

練習風景  選手が三々五々にピッチへ出てきて、練習を開始する。イングランドのキーパーがこちらに向けて盛り上がれ!というジェスチャーをする。ベッカムやオーウェンを呼ぶ歓声が沸き起こる。ベッカムは髪型がアレなのですぐに判別がつく。写真の一番手前が彼である。審判もピッチ上を何度もランニングし、準備に余念がない。

 練習が終了すると、代わってピッチ上にはカメラマンが陣取る。いよいよ試合開始間近。場内アナウンスが、デンマークのスタメン選手を背番号順に紹介する。9番のトマソンのところで歓声が上がる。

 続いてイングランドの選手紹介。「1番、デイヴィッド・シーマン!2番、ダニー・ミルズ!」観客の誰もが、7番の紹介を待っている。「5番、リオ・ファーディナンド!7番、デイヴィット・ベッカム!」が、大型画面に映し出されたのは6番のソル・キャンベル。一瞬の沈黙。キャンベルの名は読みあげられないまま画面はベッカムの顔写真に切り替わり、歓声と物凄いフラッシュ。可哀想なキャンベル。「10番、マイケル・オーウェン!」今度はちゃんと切り替わり、大歓声。

 そして選手入場。TV中継やスポーツニュースで聞きなれたあの音楽が流れ出し、場内総立ち。両国の選手が整然と入場してくる。フラッシュの嵐、鳴り響くイングランドコール。胃が痛くなるほどの興奮を覚える。300mm望遠レンズを構えるが、むろんこんな精神状態では手ブレを起こす。

 国家吹奏。そしてキックオフ。繰り返すが物凄いフラッシュ。TVで何度も見た光景の中に、今まさに僕はいる。

 開始早々、前半5分にイングランドが初コーナーキックから先制点を決める。大歓声。しかしシュートが突き刺さったのは向こう側のゴールだから、ネットが揺れたのしか見えない。一同背後のスクリーンを振り返る。そんなことが以降2度も続く。つまり、前半だけで3-0という一方的な試合展開になった。

 しかし、試合以上に一方的なイングランドペースだったのはスタンドである。鳴り止まないイングランドコール、手拍子。向こう側のスタンドのサポーターは吹奏楽器を持ち込んで、大脱走のテーマを吹き鳴らす。God Save the Queenの大合唱、そしてまたイングランドコール。まるでイングランドのホームゲームである。

デンマークCK  前半20分を過ぎた頃、突如として集中豪雨のような雨が降り出す。1階席の観客が一斉に退避する。こちらは屋根がかかっているので、文字通り高みの見物である。ゴール裏のカメラマンが一斉にレインコートを羽織り、カメラにフードをかける。可哀想なのはピッチを取り囲む警備員だ。身じろぎする事もなく、ただ豪雨に濡れている。

  ベッカムの 背を強く打つ 梅雨かな

 どうにも不出来な句で、句会に出したがやはり誰も取ってはくれなかった。雨は10分ほどで止んだ。

 最前列に座っていた若者が「カテゴリー3の安い席の皆さーん!!ウェーブ起こしますよー!」と振り向く。一斉に立ち上がる一同。が、ウェーブは1ブロックも続かなかった。3回繰り返したが結果は同じ。皆試合に夢中らしい。それにしてもこの最前列の日本人グループは陽気で、この界隈のムードメーカーになっている。対して1ブロック後ろのイングランドサポーターは野太い声で野次を繰り返し、周囲の日本人から怖がられていた。ハーフタイムにはデンマークサポーターと罵り合っており、これがフーリガンなのかと思う。

 後半になれば、圧倒的に優勢なイングランドがこちら側に攻めてくる。さぞかし迫力あるシーンが見られるに違いない、と期待していたのだが、ちっとも攻め上がってこない。それはそうだ、試合の趨勢は既に決している。たった1度だけ、ベッカムのコーナーキックがありカメラを構えたが、出来上がった写真は激しくぶれていた。ここぞというタイミングの写真がぶれてしまう。前半のデンマーク・テフティングのコーナーキックはちゃんと撮れているのに…。やはり舞い上がっていたのだろう。

イングランドサポーター  こうなると観客席も試合展開を気にしない。勝利を確信したイングランドサポーターは既にお祭り騒ぎである。フォークダンスのジェンカのように肩を組み、歌い踊りながら通路を練り歩いている。「ご自分の席で観戦してください」と放送が流れるが、もはや収拾はつくはずもなかった。

 後半の45分が過ぎ、ロスタイム1分が表示されると、もはや場内は総立ちである。大音響のイングランドコールの中、試合終了。終わってみれば徹頭徹尾、イングランドのイングランドによるイングランドのためのゲームであった。

 大いに高揚し、大いに満足して僕達はスタジアムを後にした。が、土壇場でチケットを入手した僕達が、ホテルを確保することは当然できなかった。ファミレスに停めたレレレレでの一夜は、それなりによく寝たはずであったが、朝になってみればやはり眠たかった。出発後も助手席でうとうとしっ放しだったのは言うまでもない。ひさめ氏が運転中に寝てしまったこともこっそり付け加えておこう。まったくもってお疲れ様である。

(終)

2002.7.14
on line 2002.8.25
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