四半世紀後の2万キロ・第6章


路線名
都道府県
現在の運営会社
宮脇氏の乗車日
tko.mの乗車日
左沢線
山形県
JR東日本
1976.5.29
2003.10.11
長井線
山形県
山形鉄道
1976.5.29
2003.10.11
赤谷線
新潟県
廃止
1976.5.29
未乗
魚沼線
新潟県
廃止
1976.5.29
未乗


 地味な4線、だと思う。路線名だけ聞いてどの辺りを走っているのかたちどころに分かる人は、そうそういないだろう。かく言う僕だって、鉄道ファンをやっていなければ「アテラザワ」なんて一生涯読めなかったに違いない。

 ところがこの第6章には、宮脇ファンが愛して止まない印象的な記述が幾つも出てくる。「時刻表2万キロ」各章の中でも、本章の筆致はひときわ際立っているのである。1985年に宮脇氏は、古今東西の鉄道趣味作家の文章を集めたアンソロジー(集英社文庫「鉄道が好き」)を編纂しているが、本人はこの第6章をまるまる再掲している。ご当人もお気に入りなのである。

 −「お客さん、いったいどこへ行きたいの」

 東北・北陸・挙句の果てには北海道と、異なる方面の切符を次々に注文する宮脇氏に、たまらずみどりの窓口の係員が発した問いかけである。これに対する宮脇氏の返答は実に振るっている。旅は気ままにさすらうもの。でも、宮脇氏の旅には確固とした目標がある。東北も北陸も北海道も、何となく行きたいのではない。何としても行かねばならないのである。だから本人は大真面目に答えているのだが、多分みどりの窓口氏には伝わっていない。そこが可笑しい。

 それにしても、お客さまへの問いかけとしては、随分乱暴な物言いである。どこに行こうと、こっちの勝手じゃないかという気もする。かつての国鉄職員の横柄さが、如実に現れているのだろうか。それとも、この4半世紀の間に、日本人が他人の行動に興味を持たない気質へと変化したために、違和感を覚えるだけなのか。

−グリーン車は論ずるよりも似合うことが大切なのかもしれない。

 極めて頷ける話である。僕など恐れ多くて、いまだグリーン車を利用できない。これが「デラックスシート」(近鉄)なんて単純明快な名前ならかえって抵抗もないのだが、なぜか「グリーン車」はダメだ。余談ながら昨夏、JALのスーパーシートに座ったが、あれもどうにも落ち着かなかった。どうやら僕には、簡易リクライニングをフルに倒して、自由席料金のモトを取った気になっている位が分相応らしい。
今泉ホームにて
 しかし、この第6章を第6章たらしめているのは、こうした印象的なフレーズだけによるのではない。なんと言っても、「今泉」の存在が大きい。

 米坂線と長井線が交差する今泉駅の駅前広場は、宮脇氏が終戦の玉音放送を聴いた地点である。久方ぶりに駅頭に立った氏の感慨と、それに続く、よみがえった記憶の叙述。淡々とした氏の筆致に、何か「魂」が感じられる一瞬である。

 今泉駅での思い出は、「時刻表2万キロ」刊行の2年後、「時刻表昭和史」でより詳細に、よりドラマチックに描かれることとなる。国敗れて山河あり、そして汽車がある。圧巻のクライマックスについて、ここでしつこく引用するのは止めておこうと思う。読んだ人なら誰しも胸に残っているであろう一節だ。

 第6章に取り上げられた4線のいずれにも、僕は乗ったことがない。今泉の駅前に立ってみたこともない。頃や良しと2003年秋、僕は山形へと出かけた。


 7時36分発「Maxやまびこ」103号は、定刻どおり東京駅を滑り出て、9時14分福島着。ホームを小走りして、3分接続の「つばさ」103号に乗り換える。ここまで「Maxやまびこ」と併結しているのだから、東京から「つばさ」に乗っていれば良さそうなものだが、早い話指定券が福島からしか取れなかったのである。3連休の初日、「やまびこ」はだいぶ空いていたのに、こちらはデッキから客室に入るのにも難儀する。ミニ新幹線の「ミニ」は、車両限界と軌間の話だったはずだが、輸送力までミニサイズのようだ。

 「つばさ」は福島市街を抜けると、前方に立ちはだかる山肌に取り付いてぐんぐん登り始めた。ここの景観、飛行機の離陸に似て好きである。木々が色づき始めた板谷峠を越え、ようやく人里へと差し掛かると米沢である。9時48分着。

   こんどの米坂線は10時31分発と、接続は良くない。が、つい10日ほど前までは、今乗ってきた「つばさ」103号は米沢に停まらなかったのである。米沢10時31分発を逃せば、土休日には左沢行がぽっかり4時間開く左沢線との折り合いが極めて悪くなる。今泉駅前 しからば東京をもう1本早い「つばさ」で出なければならないが、東京6時28分発の101号に小田急の初電から乗り継ぐことはできない。つまり本日のプランは実行不可なのであり、103号の米沢追加停車には感謝感激しなくてはならないのだ。43分の待ち時間など屁でもない。

 その10時31分発米沢線には、快速「べにばな」1号という立派な名称がついている。山形と新潟を直結した急行「あさひ」の流れをくむ列車だが、現在は米坂線内のみの運行、しかも今泉から各駅停車になる。改札からやたらと遠いホームへ向かえば、先頭車両は快速に似つかわしくない両開きドアのキハ47、2両目に至っては手動ドアのキハ52である。どうにも米坂線、先行きが心配になってくる。

 老朽快速「べにばな」は、刈り入れの進む田んぼの中を淡々と走る。冷夏による凶作が伝えられてはいるが、無知な旅行者の眼には、実りの秋が到来しているように映る。右手から山形鉄道(旧・国鉄長井線)が寄り添い、10時53分今泉着。跨線橋を渡り、小さな駅舎を通り抜ける。

 駅前広場は、想像よりずっと狭かった。


(つづく)

2004.1.3
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