四半世紀後の2万キロ・第12章
路線名
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都道府県
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現在の運営会社
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宮脇氏の乗車日
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tko.mの乗車日
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白糠線
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北海道
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廃止
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1977.5.21
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未乗
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留萠本線 ※1
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北海道
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JR北海道
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1977.5.21
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未乗
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「登川線」 ※2
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北海道
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JR北海道
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1977.5.22
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2002.2.9
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「室蘭線」
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北海道
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JR北海道
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1977.5.22
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2003.9.6
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瀬棚線
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北海道
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廃止
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1977.5.22
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未乗
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黒石線
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青森県
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廃止
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1977.5.23
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未乗
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盛線
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岩手県
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三陸鉄道
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1977.5.23
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2003.12.5
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※1 現・留萌本線。 ※2 現・石勝線
酒は飲んでも飲まれるな。節約旅行大失敗の章である。わずかな現金で旅に出たら、よりによって泥酔してしまい、2度立て続けに寝過ごした上にタクシーで急行列車を追いかけるエピソードはなかなかに笑える。が、金と酒の話題に引きずられた感もあり評価は難しい。
それにしても、予想外の出費に大慌てという展開は、本書を初めて読んだ中学の頃は実感としてよく分かったのだが、コンビニにATMが設置され、日常の買い物にすらクレジットカードが使われるようになった今となっては時代を感じてしまう。もっとも、大手出版社の要職にあった宮脇氏が本当に旅費不足に悩まされていたとは思えないから、「節約旅行」はある種単調な乗りつぶしに変化を与える一策だったのかもしれない。あるいは、奥様から雷でも落ちたのか。
本章の中で時の流れに思いを馳せるとすれば、お金の話より、やはり「夕張」だと思う。
宮脇氏がこの旅で乗車したのは登川へ至る支線の方であり、夕張へは足を記していない。が、夕張の描写は何としても盛り込みたかったようで、「何かと不満の多い人間は一度夕張線に乗るとよいと思う。いくらかおとなしくなるにちがいない。」と辛辣な一文が挿入されている。この表現はお気に入りだったらしく、どこか別の著作でも用いられていたように記憶している。石炭産業が斜陽を迎え、まさに青色吐息の状態だった当時の夕張である。
ところが夕張はその後、観光業に活路を見出す。夕張駅は2度にわたって移転してスキー場の前に設置され、旧駅跡は「石炭の歴史村」というテーマパークになった。1993年に書かれた紀行文(「駅は見ている」2001年 角川文庫 所収)には、東京から夕張への直通スキー列車構想、という夢が誇らしげに語られている。炭鉱の町から観光の町へ。宮脇氏の著作を読んでいると、夕張は町おこしのお手本のように思えてくる。
僕が初めて夕張を訪れたのは、翌1994年の夏だった。既に炭鉱の雰囲気は消えうせ、夕張はメロンの産地としてその名を全国に知らしめていた。が、「めろん城」も「幸せの黄色いハンカチ思い出広場」も、ひと気は全く無かった。翌年再訪した時も、状況は全く変わっていなかった。
そして破綻。石炭産業斜陽に対する切り札だったはずの施設群は、一転して「バブル期の乱脈開発」と集中砲火を浴びる事となった。夕張は再び、苦境に立たされた。
もし宮脇氏が健在なら、夕張についてどう書くのだろう。そして、本章で取り上げた黒石線を皮切りに全国で加速する、ローカル線の相次ぐ廃止をどう思うのだろう。
残酷な問いかもしれない。だがいずれにせよ、答えはもう返ってはこないのだ。
(つづく)
2007.1.6
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