四半世紀後の2万キロ・第10章


路線名
都道府県
現在の運営会社
宮脇氏の乗車日
tko.mの乗車日
会津線
福島県
会津鉄道
1977.4.24
2002.5.3
日中線
福島県
廃止
1977.4.24 未乗


 九州を完乗し、残るはついに14線区。大詰めとなってきた。「七日あれば完乗できそう」な距離だが、宮脇氏はとりあえず会津のわずか2線区をつぶしに出かける。一気呵成に動かないのは「猫が捕まえた鼠をなぶる」心境だと余裕を見せてはいるが、実は九州より帰京してから1週間しか経っていない。さすがに逸る気持ちが抑えられないようだ。

 終着駅での滞留が異常に長い会津線と、朝夕のみ運転の日中線は、東京から近い割に乗るのが難しい。散々頭を悩ませた挙句、氏は鬼怒川から会津山中に分け入るバスに乗り、最後は4kmてくてく歩くという奇手に出た。そうそうには思いつかないやり方で感心してしまうが、野岩鉄道が開通した今となっては、もはや過去の物語である。プラン検討の中にあった上野−会津若松の夜行列車ももちろん現存しない(この夜行、僕にはとても想像できない)。この程度の小旅行であっても、時の流れは全く容赦が無く、慄然とさせられてしまう。
会津鉄道
 さて、僕が会津鉄道に乗ったのは、2002年のゴールデンウィークの事だった。2泊3日で会津を中心とした未乗線区を駆け巡った旅の行程を、思い出してみる。

 5/3 浅草→下今市→会津田島→会津若松→新津→新発田→新潟(泊)
 5/4 新潟→巻→吉田→東三条→長岡→小出→会津高田(泊)
 5/5 会津高田→会津若松→喜多方→郡山→水戸→日暮里

 若松を交点に8の字に回転する妙なルートだが、当時、会津エリアで乗車済だったのは郡山−喜多方だけだったから、"戦果"たるや相当なものであった。SL「ばんえつ物語号」や喜多方ラーメンなど、観光要素もちゃんと盛り込んだ、よく出来たプランだと今見ても思う。

 だけどこれだけ詰め込むと、どうしても1路線毎の印象は薄くなる。凄まじいローカルっぷりの野岩鉄道や只見線はまだしも、会津鉄道…うーん、どんな線だったろうか。トンネルの合い間合い間に見える新緑が美しかった事は覚えているが、そんな感想はこの季節どのローカル線に乗っても書ける事ではある。

 危ないとか何とか言われつつも、会津鉄道が廃線になる見込みは当面なさそうだから、印象が薄ければもう1度乗りに行けばいいだけの話ではある。何かしら得る物はあるだろう。しかしそうであるならば、既に廃止となって久しい日中線を、いったい僕はどう扱えばいいのだろう。

 化物屋敷のような駅舎、無人の客車、駅の電灯スイッチをひねるしか仕事の無い車掌…ただ鄙びているだけのローカル線とは違う、ただならぬ空気が日中線の乗車記からは漂ってくる。乗ってみたい、と思う。北海道のローカル線群を別格とするならば、内地の廃線で惜しまれるのはなんと言ってもこの日中線だとさえ思う。

 薄情なもので、未乗線区が壊滅したあのGW以降、会津には足を踏み入れていない。次に行く時は熱塩駅舎を訪ねてみてもいい。現役当時よりもむしろ丁寧に手入れがされ、美しい姿で保存されているそうだ。

 だけどその駅に、もう列車は来ない。


(つづく)

2006.1.29
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